
「神道」って何?と子どもたちに質問されたとき、
みなさんは正確に答えられますか?
私は曖昧に答えてしまいそうだったので、
改めていくつか本を読みました。
今回は、いくつかの本の内容を私なりにまとめてみました。
結論から言ってしまうと、
神道は、日本の古代から続く独自の宗教であり、自然崇拝や祖先崇拝を基盤としているものです。
神道の歴史は日本の歴史そのものと深く結びついており、時代とともにその形態や解釈は変化してきました。
しかし、自然との調和や清浄の観念など、その根本的な精神は現代まで脈々と受け継がれています。
この記事では、
- 神道の起源から現代に至るまでの発展
- 神道における神々の概念
- 現代における神道の位置づけ
について、難しい単語の説明も加えながら、わかりやすく説明していきます。
神道とは?
まず、先ほどさらっと言った「神道とは何なのか」について復習します。
日本の古代から続いている信仰に起源を持つ日本独自の宗教
明確な創始者・教典を持たない「自然宗教」と呼ばれるもの
神道は、日本の古代からの信仰に起源がある日本固有の宗教です。
仏教やキリスト教などは、特定の開祖や創唱者を持ちます。
- 仏教では、「釈迦(本名:ゴータマ・シッダールタ)」

- キリスト教では、「ナザレのイエス(イエス・キリスト)」

がそれらに当たります。
これに対して、神道は、そうした明確な創始者や教典を持たない宗教として発展してきました。
古代の日本に住んでいた人が自然に対して抱いた畏怖や感動などから自然発生的に誕生したとされています。
神道の起源とその発展
実のところ、神道の起源を明確に特定することは難しいとされています。
初期の神道は、地域や部族ごとに独自の信仰体系を持っていたと考えられています。
しかし、部族間の交流や統合を通じて共通の宗教観が形成されるようになります。
さらに、天皇家を中心とした豪族の勢力が日本全土に影響を及ぼすことで、神道の基盤が築かれていきました。
ではもう少し詳しく、実際に日本の宗教観や神道がどのような歴史を辿り発展してきたのかを時代ごとにみていきましょう。
先史時代の信仰
考古学的な知見によれば、
日本列島では縄文時代(紀元前14,500年頃〜紀元前300年頃)から独自の信仰形態が存在していたことが分かっています。
土偶などの祭祀遺物から、当時の人々が何らかの神的存在を崇拝していたことが推測できます。
ただ、縄文人の信仰体系が直接的に神道に継承されたかどうかは、明確な証拠が乏しいのが現状です。

弥生時代(紀元前300年頃〜紀元後300年頃)になると、
大陸から稲作が伝来し、農耕を中心とした社会が形成されていきます。
稲作が生活の中心となったことで、
稲作に関連する神々や自然現象、地形(山、海、川など)、自然物(水、岩、木など)が信仰の対象となりました。

このような信仰は、すべてのものに神が宿るとするアニミズム的な要素を持っています。
しかしながら、「神道=アニミズム信仰」とは言い切れない面もあるため、それに関しては後述します。
古代国家形成と神道
古墳時代(3世紀末〜7世紀)に入ると、
日本列島には大和朝廷(ヤマト王権)を中心とした国家形成の動きが見られるようになります。
この時期、各地域や氏族が持っていた独自の信仰体系が徐々に統合され、
天皇家(ヤマト王権)の祖先神を中心とした神話体系が確立されていきました。
飛鳥時代から奈良時代にかけて(7世紀〜8世紀)、
『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)が編纂されました。
これらの書物は、日本の創世神話から歴代天皇の系譜までを記した重要な文献で、
神道の神話的基盤が記されているものです。
特に、天照大神を頂点とする天津神(あまつかみ)の体系や、
大国主神を中心とする国津神(くにつかみ)の物語は、神道の世界観を形作る重要な要素となりました。
『古事記』の具体的な内容については、こちらのシリーズで解説しています。
仏教との出会いと神仏習合
6世紀に仏教が日本に伝来すると、神道は新たな変容を遂げることになります。
当初は仏教の受容を巡って対立もありましたが、
やがて「神仏習合」と呼ばれる独自の宗教的融合が進みました。
神と仏を一体のものとする考え方
日本独自の宗教文化として発展する
神仏習合の考え方では、仏教の仏や菩薩が神の姿を借りて現れている(本地垂迹説)とされ、
神社の境内に仏塔や仏殿が建てられたり、神前で読経が行われたりするようになりました。
この神仏習合の時代には、神道は仏教から多くの影響を受けました。
それまで体系的な教義や経典を持たなかった神道は、
仏教の教理や儀礼の一部を取り入れながら、独自の宗教的アイデンティティを発展させていきました。
一方で、神社の建築や祭祀儀礼においては、復古的な様式を維持することで仏教との差別化を図りました。
※仏教以外の宗教的な思想との関連としては、『古事記』や『日本書紀』には、中国の陰陽五行思想や神仙信仰の影響が見られます。
中世・近世の神道
中世になると、伊勢神道や吉田神道など、より体系的な神道の教学が発展しました。
特に吉田神道の創始者である吉田兼倶は、「唯一神道」の思想(反本地垂迹説)を唱え、仏教からの自立を目指しました。
江戸時代に入ると、儒学者の山崎闇斎による垂加神道や、
本居宣長を中心とする国学の台頭により、神道の理論的研究が深まりました。
特に国学者たちは、『古事記』や『日本書紀』の研究を通じて、
仏教や儒教の影響を排した純粋な神道の復興を目指しました。
本居宣長の「もののあはれ」の概念や、

平田篤胤の霊魂観など、

この時代の思想は後の神道観に大きな影響を与えています。
明治時代以降の神道
明治維新(1868年)後、明治政府は神仏分離令を発布し、
それまで1000年以上続いた神仏習合の伝統に終止符を打ちました。
さらに、神道は「国家神道」として再編され、
天皇を中心とした国家統合のイデオロギー(ここでは「政治的思想」)として利用されるようになりました。
この時期、神社は国家の管理下に置かれ、神道の祭祀は国家の儀式として位置づけられました。
また、「伊勢の神宮」を頂点とする神社の階層制度が確立され、全国の神社が整備されました。
学校教育においても、神道に基づく道徳教育が導入されるなど、
神道は国家の精神的基盤として重要な役割を担いました。
戦後の神道
しかし、第二次世界大戦後、神道は大きな転換点を迎えます。
1945年12月のGHQによる神道指令(国家神道と神社神道を分離し、政治と宗教を分離することを目的とした覚書)が発令され、、国家神道は解体されました。
国家による神社への特別な保護は禁止され、神社は宗教法人として自立することを求められました。
この時に、神道は他の宗教と同様に私的な信仰、民間信仰として再出発することになりました。
1946年には神社本庁が設立され、全国約8万社のうち約8割の神社がこれに属しています。
残りの神社は単立神社として独自に運営されるか、特別な地位を持つ神社として継承しています。
このように神道は、天皇の権威を象徴する宗教として政治的に利用された経緯があります。
それが故に大きな誤解を持たれてた歴史も持っています。
神道における神々の概念
神(カミ)の本質
神道における「神(カミ)」の概念は、西洋宗教における神の概念とは大きく異なります。
神道の神は、創造主としての全知全能の神というよりも、
自然の中に宿る神秘的な力や、特別な徳を持った存在として認識されています。
古代の日本に住んでいた人にとって、
山や川、岩、大木など、印象的な自然物には霊的な力が宿ると考えられており、これらは畏敬の対象となりました。
このような自然崇拝の要素は、神道のアニミズム的側面として解釈されることもありますが、
神道の神々は単なる自然の精霊ではなく、より複雑な性格を持っています。
特に、『古事記』『日本書紀』に登場する天照大神や素戔嗚尊(須佐之男命)などの神々は、
人格を持ち、喜怒哀楽を表現する人格神として描かれています。
神道の神は、アニミズムの要素を含みつつも、それだけでは説明しきれない多層的な性格を持っています。
神々の種類
神道の神々は、いくつかの分類方法があります。
天津神と国津神
高天原(神々が住む天上の世界)に住む神々。
- 天照大神をはじめとする天皇家の祖先神
- 古くから朝廷に仕えていた豪族の祖先神
などが含まれる。
地上の国土に住む神々。
大国主神を最高神とし、地域に根差した神々が多く含まれる。
ただし、神産巣日神の子で大国主神の国造りを助けた少名毘古那神のように、
天津神に分類されることも国津神に分類されることもある神もおり、
両者の線引きは必ずしも明確ではありません。
記紀神話の神と民間信仰の神
『古事記』『日本書紀』に登場する神々。
- 天照大神
- 素戔嗚尊
- 大国主神
- 少彦名神
- 住吉大神
など
特定の地域や民間で信仰されてきた神々。
- 恵比寿神
- 竈神(かまどがみ)
- 田の神
- 山の神
など
自然神と人格神
自然現象や自然物に宿る神々。
- 山
- 川
- 海
- 太陽
- 月
など
人間のような性格や行動様式を持つ神々。
記紀神話に登場する多くの神がこれに該当。
人が神となる場合も
古代においては、人と神は明確に区別されており、人が神になることはなかったとされています。
しかし、奈良時代末頃から、怨みを持って死んだ人を神として祀る習慣が生まれました。
平安時代以降は、菅原道真(天神)や源義経(弁財天)のように、
生前に人並外れた能力を持った人物も神として祀られるようになりました。
八百万の神々
神道では、「八百万の神」という表現がよく用いられます。
これは「無数の神々が存在する」という意味で、神道の多神教的性格を象徴しています。
自然界のあらゆる場所に神が宿るという考え方は、日本文化の自然観や美意識に大きな影響を与えてきました。
神々は必ずしも善なる存在とは限らず、
荒ぶる神や疫神・厄神のように、時に人間に災いをもたらす存在も含まれます。
そのため、神道の祭祀には、神々を鎮め、その恵みを受けるという二重の目的があります。
現代における神道
神道と現代日本の宗教観
現代日本に住む人の多くは、特定の宗教に帰依しているという意識が薄いと言われています。
しかし、初詣や七五三、結婚式など人生の節目に神社を訪れる習慣は広く維持されており、
神道の実践は日本の人たちの生活の中に自然な形で溶け込んでいます。
一方で、現代の神社は観光地としての側面も強まっており、
宗教的意義よりも文化的・観光的な価値が重視されるケースも増えています。
また、神道の教えや神話に関する知識は日本の一般人の間で薄れつつあるという指摘もあります。

これに関しては、私自身も自覚があるので、
これから身につけていきたい部分です。
神道の国際的評価と課題
近年、神道は環境保全や自然との共生といった現代的課題との関連で国際的にも注目されています。
八百万の神を信じ、自然を畏敬する神道の世界観は、現代のエコロジー思想と共鳴する側面があります。
伊勢の神宮にも「常若」の思想があり、いま流行りの「サステナビリティ」を
およそ2,000年前から実践していたということになります。
また、神道の祭りや儀式は日本の伝統文化として海外からも高い関心を集めています。
日本を訪れる外国人観光客が増加する中で、神社は重要な文化観光資源となっています。
一方で、神道には近代史における国家神道としての側面があり、
特にアジア諸国との関係においては歴史認識の問題として議論されることもあります。
現代の神道界がこうした歴史をどう捉え、
未来に向けてどのような役割を果たしていくかは、引き続き重要な課題であると言えます。

日本に住む一人として、私も自分自身で考えていきたい問題です。
まとめ
今回は、
- 神道の起源から現代に至るまでの発展
- 神道における神々の概念
- 現代における神道の位置づけ
についてお話してきました。
神道は、日本の風土と歴史の中で育まれた独自の宗教であり、
仏教や儒教、キリスト教などの外来思想との交流や融合を経ながらも、
その独自性を保ち続けてきました。
自然との調和、清浄の観念、祖先崇拝など、
神道の核心的な価値観は、日本文化の基礎を支えてきたと言えるでしょう。
現代社会においては、神道は宗教としての側面と文化遺産としての側面の両面を持ちながら、
日本に住む人たちのアイデンティティの一部として継承されています。
国際化や情報化が進む中で、
神道の伝統をどのように維持し、発展させていくかは、日本文化全体にとっての課題とも言えます。
神道の本質は、自然と人間、神々と人間の間の調和的な関係にあります。
八百万の神々を敬い、自然の恵みに感謝し、清らかな心で日々を過ごすという神道の教えは、
現代の複雑な社会においても、なお私たちに示唆を与えてくれるものと言っていいのではないかなと思います。
今回の内容が、みなさんのお役に少しでも立てていれば幸いです!
「参考になった」「ためになった」という人は
ぜひ周りの友だち、家族などに教えてあげてください!
また、取り扱ってほしい話題やキーワードなどがあれば、
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個人的にも勉強になりますので、是非コメントしてください。
みなさんのコメントなどお待ちしております!

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伊藤聡・遠藤潤・松尾恒一・森瑞枝 『日本史小百科・神道』 東京堂出版 2002年
鎌田東二 『神道とは何か』 PHP研究所 2000年
阿満利麿 『日本人はなぜ無宗教なのか』 筑摩書房 1996年
齋藤孝 『1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365』 文響社 2020年
おすすめの本
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